【訃報】キヤノン複写機シェアを10%から30%に押し上げた功労者

滝川精一(たきがわ・せいいち=キヤノン販売〈現・キヤノンマーケティングジャパン〉元代表取締役会長)

滝川精一(たきがわ・せいいち=キヤノン販売〈現・キヤノンマーケティングジャパン〉元代表取締役会長)

 1月24日に逝去。享年94歳。キヤノン販売を東証1部に上場するとともに、キヤノン複写機販売で国内シェアを10%から30%に押し上げた功労者。
 1954年3月に東京大学経済学部を卒業し、4月にキヤノンカメラ(現・キヤノン)入社。1970年10月キヤノンUSAの社長に就任すると、米国市場でのカメラの卸売制度を販売店との直接取引に切り替えて業績を伸ばす。その実績が評価されて、1977年1月にキヤノン販売の代表取締役社長に就任。
 同年7月に、国内の有力複写機販売店社長を米国に招いた研修旅行で、ニューヨーク大停電に遭遇するハプニングに見舞われる。『およそ900万人がこの停電による被害を受け、被害総額は(略)3億ドル(約330億円)』〈ウィキペディアによる〉といった大規模なもので、折からニューヨークの高層ビルのホテルに宿泊していた一行は、食事も取れず地上に下りるのも大変な事態になった。しかし、半年ほど前まで現地で社長を務めていた滝川社長の機転で、旧知のキヤノンUSA社員と連絡を取り、食事などを部屋まで階段で届けてもらうことができ、一行は車座になって食事や酒盛りをしながら、複写機販売のことなどじっくり話し合う機会になったという。この時の参加者は多くが鬼籍に入ったが、お互いに戦友と呼び合うなど結束が固くなり、キヤノン複写機販売の中核店として同社のシェア向上に貢献した。
 滝川社長は、この時の苦労を分かち合った販売店との話し合いをもとに100ポイント店100店会構想を打ち出し15年かけて実現。売上高を10倍に、普通紙複写機(PPC)の国内販売シェアを10%から30%に伸ばした。また、1981年東証2部上場を経て、1983年に東証1部上場を果たした。
 1993年3月に代表取締役会長に就任し、1999年3月に名誉会長、2005年4月~2008年1月に特別顧問となった。
 この間に、キヤノンでは1985年3月に取締役相談役に就任、1995年3月に相談役となった。
 1996年に藍綬褒章、1999年に日本文化デザイン賞企業文化賞、2002年に文部科学大臣表彰社会教育功労者賞と勲三等瑞宝章を受章している。
 葬儀は、近親者のみで執り行われた。